ライフログ
最新の記事
記事ランキング
以前の記事
リンク
ブログパーツ
その他のジャンル
|
2016年 05月 11日
漁協の応接室に零戦(零式艦上戦闘機)の大きな写真が飾られていた。あの大津波で漁協の建物と一緒にこの写真も流されてしまった。 写真の上部には「昭和18年200K位大まぐろ5000本(1000t)大漁・海軍省へ艦上戦闘機大谷水産号献納」とある。右下には、この時の献納式典に参列した軍人や漁協関係者の写真が添えられている。この写真の中に私の祖父もいる。この時に祖父は漁協の会計をしていた。在郷軍人会の会長でもあり、「お国」のために懸命に尽くしていたであろう姿が写っている。 それしにても、200k級のマグロが5000本の大漁というのだから驚く。不振を極めている今のマグロ漁業の関係者が聞いたら、口から涎が滝のように垂れてくるかもしれない。現在の価格に換算すると、200kのマグロを100万円としても50億円だ。かつての大谷の海の豊かさを、このマグロ零戦が、皮肉にも、象徴している。 だが、このマグロ零戦(大谷水産号)の存在を、過去のこととして歴史の中に閉じこめてよいのだろうか。マグロ零戦には、もっと深く重い教訓がある。その教訓を私たちは学ばなければならないはずだ。 当時、海軍に戦闘機を献納できるほどに豊かな海を、祖父たちは誇りと感じていたことだろう。そして、戦闘機というものの本質が殺人と破壊のための兵器でしかないことに、豊かな海の恵を人殺しの道具のために売り渡してしまったことに、祖父たちは思いをめぐらすこともなかっただろう。 しかし、こうしてお国のために懸命に尽くしたその結果はどうだったか。戦後、祖父は戦争協力者としてB級戦犯の烙印を押され、20年もの間公職から追放されてしまったのだ。その無念さを、残念ながら、祖父が生きている時に聞くことはできなかった。 マグロ零戦はその後どうなったのだろう。あの戦争で失われた多くの戦闘機と同じように、海の藻屑と消え去ったのかもしれない。それはまた、200kのマグロ5000本(50億円)が一瞬のうちに消えたことを意味する。それがどれほどに愚かなことであるかは、誰もがわかることだ。 マグロ零戦は、「国家」というものが、いかに理不尽で、危うい存在であるかを、はっきりと物語っている。だが、この教訓を、私たちはきちんと学び、受け継いでいるだろうか。もう一度、そのことを自らに問いかけなければならない。
by sophia_forest
| 2016-05-11 20:10
| 漁業
|
ファン申請 |
||