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2011年 01月 03日
長年待ち望んでいた山浦玄嗣先生の講演会がようやく実現することになった。2011年のハチドリ計画の始まりを飾るにふさわしい講演会だ。新年早々ではあるが、さっそく講演の案内文を作成した。講演の対象は小学校6年から中学3年までの大谷の子供たち。このような視点から自分の地域のことを聞くのは初めてだろう。どんな反応が返ってくるか楽しみである。
講演のタイトルに「環境」を入れたのは、実は、この講演は「環境教育」の取り組みの一つとして行うためだ。こういうところが学校のメンドウなところ。環境は「自然環境」だけに限るものではないだろう。文化や歴史、そして暮らしのありようもまた私たちの生存にかかわる「環境」である。持続可能な社会のためにも、広い視野から「環境」をとらえる必要がある。そう考えると、このタイトルもなかなか味がある、ような気がする… (^^ゞ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 2011 大谷ハチドリ計画 母なる「環境」としてのケセン 山浦玄嗣先生のケセン講座 ●開催日 2011年1月28日(金) 午後1時30分~3時15分 ●会 場 気仙沼市立大谷中学校・多目的ホール 気仙沼市本吉町三島60-4(0226-44-2004) 大谷も「ケセン」なのっサ かつて大谷はケセンであった、と聞いて皆さんは驚かれるかもしれませんね。 ケセンという地名は、岩手県に気仙(大船渡・陸前高田・住田)としてその名が残されています。しかし、今から1200年も昔には気仙だけはなく、宮城県の気仙沼・本吉から北上川より東の石巻や牡鹿までの広い地域もまたケセンと呼ばれていたのです。 このケセンの地で、私たちの祖先であるエミシは縄文以来の狩猟採集の社会を形成していました。この狩猟採集の社会では、食物は山や海など自然を支配する神々からの恵みとして誰もが平等にいただくことのできるものとされていました。 「神々のふところ」は深く豊かであり、稲作農耕に頼る必要もありません。部族ごとに充足した共同体が生まれ、やがてそれぞれの部族は互いに対等な関係を保ちながら、ゆるやかに結びついた連合体が成立します。それがエミシの国・ケセンだったのです。 しかし、後に日本に渡ってきたヤマト族がこの豊かなケセンの地を我が物にしようと侵略を始めます。その侵略は執拗かつ苛烈を極めるものでした。ケセンはその領域を次第に失い、今やその古来の名を保っているのは最北の気仙地方だけになってしまったのです。 ヤマト族の侵略により、私たちケセン人はどのような歴史をたどったのでしょうか。歴史書のほとんどは征服者によって記されていますから、その歴史を伝えるものは残されていません。しかし、それでもなお、ケセンの魂は絶えることなく息づいています。それこそがケセンという「環境」なのです。 オラほの言葉は「ケセン語」 それは単に「自然環境」だけのことではありません。ケセンの自然に寄り添う暮らしそのものが、私たちの心や身体を育む「環境」として縄文の時代から受け継がれています。そして、そのなによりの証拠が私たちの母語である「ケセン語」なのです。 「我々の先祖は、大陸文化の物真似でなく、真に自らの力であの独創的な縄文文化をこの列島に築きあげた北方縄文人であります。あの燃え上がるような火焔土器の強烈な個性こそは、我々東北の民が自らの燃える魂を自らの手で表現したヒタカミ(東北の古名)の創造精神の象徴です。我々こそは、太古の暗闇の中から、絶海の孤島であったこの竜の形の日本列島に自らの力で輝く文明を創り出したあの栄光の縄文人たちの直系の子孫であります。その言語(ケセン語)こそは、栄光の過去を担い、数千年の間にこの列島に高貴な光を掲げた民族の香りを今に伝えるものなのであります。」(山浦玄嗣『ケセン語入門』「序論・母なる国ケセン」) そして、「われわれの言語・ケセン語は、一万数千年という途方もなく長い伝統を持つ縄文エミシ語の文化を分厚い基層にして、その上に征服者ヤマト族の言語が、千年そこそこの短い歴史時代を通じて、変形しつつかぶさってきた」(山浦玄嗣『ケセン語大辞典』序論) 表層のヤマト語を剥ぎとれば、ケセン語の基層に、ヤマト族の支配に頑強に抗してきた「まつろわぬ(服従しない)民」ケセンエミシの魂が深く強く息づいていることを山浦先生は掘り起こされたのです。 さらに、ケセン語の内部構造を解き明かすにつれて、それが学校文法をはるかに凌駕し、日本語全体の構造にも通じる壮大な体系を持つことが明らかになってきました。 山浦先生は聖書をケセン語で訳し直すという大事業を成し遂げられ、それによってイエスがどのような人物であり、彼が伝えようとしたものは何かを明らかにされています。ケセン語という言葉には、物事の本質を見抜く力が備わっているのかもしれません。 山浦先生の『ケセン語大辞典』には3万4千という膨大な語彙が収録されています。驚くことに「ここにはわたしの耳で聞いたことのない語彙は一つもない」のです。これほど豊かな語彙を実際に生きた言葉として使っているわけです。このことを私たちケセン人は高く誇ってよいはずです。 ケセンを大事(でァず)にしァすべ ケセン語の素晴らしさは豊かな表現と壮大な文法体系だけではありません。言葉を発するとき、その声はその土地の自然が奏でる深い調べ(リズム)に呼応しています。「ズーズー弁」などでは決してない。ケセン語の独特の音調(アクセント)にもケセンの豊かな自然が息づいているのです。 息づく地を持たないゆえに標準語が単調なリズムしか持ちえないのはそのためでもあります。ケセン語の音調が標準語と異なるのは当然であり、その違いを気にかけても仕方のないことです。母なる「環境」としてのケセン、そしてケセン語を、私たちはかけがえのないものとして守り、つないでいくことが、ケセンに生きる者としてのつとめであろうと思います。 ●山浦玄嗣先生のプロフィール 1940年東京で生まれ、釜石市、気仙郡越喜来村に育ち、その後気仙郡盛町(現大船渡市)に移る。 1966年、東北大学医学部卒業後、1971年、同大学院医学研究科外科学専攻卒、医学博士となる。 1981年、東北大学抗酸菌病研究所放射線医学部門助教授。 1986年、郷里に戻り、大船渡市盛町で山浦医院を開業し、現在に至る。 専門の医学のかたわら、ふるさと気仙地方の言葉 『ケセン語』の研究に余暇を捧げ、『ケセン語入門』(1987年、日本地名学会「風土研究賞」受賞、詩集『ケセンの詩』(1989年、岩手県芸術選奨受賞)、ケセンの歴史を書いた『ヒタカミ黄金伝説』(1998年、自費出版文化賞-学芸部門-受賞)、『ケセン語大辞典』(2000年、岩手日報文化賞受賞)、『ケセン語新約聖書・マタイによる福音書/マルコによる福音書/ルカによる福音書/ヨハネによる福音書』(2002~04年、大船渡印刷)、『父さんの宝物』(2003年、イー・ピックス)、『ケセン語の世界』(2007年、明治書院)などの著書がある。1990年、岩手県地方の言葉の研究と文化の振興により岩手県教育表彰受賞。2002年、大船渡市市政功労者表彰(文化功労)受賞。 ●プログラム 第1部1:30~2:20 講演:母なる「環境」としてのケセン 第2部2:30~3:15 ケセン語のワークショップ (参考) 山浦先生が取り組まれている事業には、①ケセン語の体系化、②ケセン語訳聖書、③ケセンの歴史がある。その事業を紹介するために「ケセン語という奇跡」として地元紙『三陸新報』に連載した。私のHPにも掲載している。
by sophia_forest
| 2011-01-03 17:57
| ケセン
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