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2006年 04月 12日
今夜は、陸前高田で「六ヶ所ラプソディー」の試写会。盛岡での試写会のテープを借り受けての上映である。40名ほどが参加。さすがに広田湾を開発から救った住民である。意識が高い。
「三陸の海を守る気仙沼・本吉の会」からも3名が参加。こちらだって、新月ダムをとめている。三陸の海を守る気概は負けていない、って競うことでもないが・・・。 さて、「六ヶ所ラプソディー」の評価をめぐって、さまざまな意見が出ている。私がこれを「記録」として突き放して評価しているせいか、この「映画」に感動している方からは反発がある。あまりこのことに時間を取られるのは賢明ではないが、一度整理しておく必要があるようだ。 「六ヶ所ラプソディー」を上映するのは何のためかということ。 それは、再処理工場を止めることであり、三陸の海を守ることである。現時点では、アクティブ試験をできる限り早く止めることが最優先の目標になる。 そのためにはまず、三陸沿岸の住民に再処理工場の事実と、ここから放出される放射能によって三陸の海が破壊されることを伝えなければならない。 再処理工場について新聞でも取り上げられるようになったが、多くの住民は知らないか、知っていても関心がない。それが普通だろう。 したがって、この住民たちに、この問題をどのように伝え、三陸の海を守る活動にどのように参加してもらうかが課題になる。 「六ヶ所ラプソディー」の上映は、この課題を解決するための手段の一つであり、道具として活用しようといういうものだ。上映にあたっては、この「映画(記録)」が、この課題解決のための手段・道具として有効かどうか、また、これを効果的に使うにはどうするかを冷静に判断しなければならない。 まして、再処理について何も知らず、関心もない人たちを相手にすることになる。この「映画」を見せれば必ず三陸の海を守る活動に参加してくれる、などということは到底ありえないだろう。自分たちの思いをただぶつけるだけでは住民は動いてくれないからだ。 再処理に反対する立場に立つと、この「映画」に思い入れをしてしまうのか、手放しで絶賛してしまう人がいる。しかし、同じように再処理に反対する人の中には、この「映画」を批判的に評価する人も多いという事実を無視してはならない。 厳しい言い方だが、自分にとって都合のよい意見だけを集めて、だからこれは良いとするのでは、原燃が自分に都合のよいデータだけを集めて安全だというのと同じことになる。 だからこそ、冷静に、また視点をかえて見ることが大切である。目の前には数多くのハードルが待ち構えている。一気に解決する手段などありはしない。一つ一つを丹念に、いろいろな角度から克服していかなければならないのだ。 「六ヶ所ラプソディー」を上映することは手段であって目的ではない。手段と目的をはきちがえて手段に拘泥し、目的を見失うことがあっては台無しになってしまう。 目的は、再処理を止めることだ。それはまた、子供たちの命と未来を守ることでもある。そして、このことをしっかりと心に刻んでおくことで、多くの人を結びつけることもできるし、方向を見失うこともないはずだ。 ところで、二度見て感じたのだけれど、「六ヶ所ラプソディー」が、記録から映画になるためにはどうするかと一番悩んでいるのは、監督である鎌仲さん本人かもしれない。 次の「作品」は期待できそうな、そんな気がしている。
by sophia_forest
| 2006-04-12 23:44
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