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2006年 10月 07日
『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』を読む。
(NHK「東海村臨界事故」取材班・新潮文庫) 9月30日、小出さんの盛岡講演があったこの日は東海村JCO臨界事故が起きた日でもある。7年前の1999年のことだ。 小出さんもこの臨界事故を取り上げて、事故の状況と大量の放射線を浴びて死亡した作業員について説明し、被曝した作業員の腕をスライドで映し出した。表皮がはがれ赤黒く変色した腕が脳裏に強く焼きついた。 この講演の3日後、不思議なことにAmazon.から新刊の情報が届いた。それが『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』だった。早速、取り寄せた。この本こそ、講演で見た腕の持ち主である大内久さんが被曝してから亡くなるまでの83日間を描いたものだったのである。 大内さんは、核燃料加工施設「JCO東海事業所」(住友金属鉱山の子会社)で、核燃料サイクル開発機構(現在は日本原子力研究開発機構)の高速実験炉「常陽」で使用するウラン燃料の加工作業をしていた。 ステンレス製のバケツを使うという違法な「裏マニュアル」での作業だった。そして臨界事故が発生し、大量の放射線を浴びてしまう。8シーベルトで100%死亡とされる放射線を大内さんが浴びたのは20シーベルトだった。大内さんは、この作業によって臨界に達する可能性をまったく知らされていなかったのだ。 東大病院に運び込まれた当初、大内さんには一見して何の異常も見られず、意識もしっかりして元気だった。その様子に医師たちも「命を救えるのではないか」と思ったという。 だが、採取した染色体の写真を見て医師は目を疑う。そこに映っていたのは染色体ではなく、「ばらばらに散らばった黒い物質だった」。それは「生命の設計図」が失われたことを意味していた。設計図を失った身体は、最先端の医療や薬を総動員しても、再生することなく次第に朽ちていく。 この本は、その凄まじい病態・症状の進行と、それでもなお被曝した患者の命を救うべく医療スタッフの83日間にわたる壮絶な闘いを描いた記録である。 「放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった。今回の臨界事故で核分裂を反応を起こしたウランは、重量に換算すると、わずか1000分の1グラムだった。原子力という、人間が制御し利用していると思っているものが、一歩間違うととんでもないことになる。そのとんでもないことにたいして、一介の医師が何をしてもどうしようもない。どんな最新の技術や機器をもってしても、とても太刀打ちできない。その破滅的な影響の前では、人の命は本当にか細い」 これに関連にして、もう一つ不思議なニュースが流れてきた。 JCOに「常陽」の核燃料を発注した旧核燃料サイクル開発機構の都甲泰正元理事長が、JCO臨界事故が起きた日の9月30日に北海道大雪山系朝日岳に単独で入山して行方不明になり、4日午前に遺体となって発見されたのだ。 都甲元理事長は、旧核燃料サイクル開発機構の最高責任者として「常陽」の核燃料を発注し、そのことがJCOを違法な作業に導くことになり、ついには作業員の死と多くの被爆者を生み出したとされている。 しかし、その真相も責任をも明らかにしないままに亡くなってしまった。78歳という高齢にもかかわらず、なぜ彼は9月30日に単独で山に入ったのだろうか。
by sophia_forest
| 2006-10-07 11:35
| 原発
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