ライフログ
最新の記事
記事ランキング
以前の記事
リンク
ブログパーツ
その他のジャンル
|
2007年 01月 28日
「食という字は人を良くすると書く」という言葉が、数年前に『オブラ』(講談社刊、スペイン語で成果、作品の意)という雑誌が創刊された時のコピーに使われていた。(この『オブラ』今は休刊しているようだ。「成果」がなかったのかな…)
最近またこの言葉を聞くことがあり、あっ、まだ使ってると、懐かしいような、おかしな気分にさせられてしまった。 『オブラ』が創刊された当時、ちょうど食育の普及活動をしていたこともあって、この言葉は食育のキャッチコピーとしても使えるなぁ、でも、なんかこじつけっぽいなぁ、と思って藤堂さんの漢和大辞典で調べてみた。すると意外なことがわかった。 「食」という字の成り立ちをみると、上の「人」の部分は「集めてふたをすること」を表し、下の「良」の部分は「穀物を盛ったさま」を表している。「食」はこの二つの意味を合わせた会意文字で、容器に入れて手を加え、柔らかくして食べることを意味するのだそうだ。 「人を良くする」という『オブラ』のコピーはやはりこじつけで、食育で使うには教育上よろしくない?ようなので、残念ながらこれは却下。 でも、「食」という字の「良」の意味が「穀物を盛ったさま」なのに、それがなぜ「良い」という意味になるのだろうとさらに調べてみると、「食の良」と「良いの良」は形は同じなのだが、成り立ちも意味もまったく違うものだったのである。 「良いの良」は、丸い穀粒を水で洗い、きれいにしたさまを表すのだそうで、そこから「けがれのない穀物」の意味となり、「良い」となった。 また、良いと同じ意味の「善」も、「たっぷりと見事な供え物」が原義で、これも食べ物に関係し、そこから「よい、すばらしい」という意味になっている。 つまり、「良い(善い)もの」は、けがれのない豊富な食物に由来しているというわけ。これは、美しい自然の豊かな恵みである食物こそ良い(善い)ものである、と遠い昔から尊ばれてきたことを表しているようで、なにやら嬉しくなってしまった。 土や海を相手に暮らしていると、自然は「良いもの」をふんだんに用意してくれていると本当にそう思う。 けれど、人間が自然に余計な手出しをして、せっかくの「良いもの」を台無しにし、自分で自分の首を締めている、というそんな状況ばかりが目につく。食が自然から切り離されていたのでは、人を良くするどころではないだろうに…。 なんていまさら愚痴をいっても仕方がない。とにかくこの「良いもの」を皆に食べてもらおう。そうすれば、食は「人を良くする」、はずだ。
by sophia_forest
| 2007-01-28 06:42
| 総合
|
ファン申請 |
||