Sophia Forest
2019-01-15T21:49:28+09:00
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place-based life
Excite Blog
新しい日本を生み出すために
http://chinomori.exblog.jp/27398363/
2019-01-15T21:34:00+09:00
2019-01-15T21:49:28+09:00
2019-01-15T21:34:46+09:00
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総合
日本の主権はこうして失われた
「あとがき―歴史の法則は繰り返す」(要略)
評論家の立花隆さんはその著『文明の逆説』の中で、ローマ帝国はその中で蔓延する「罪と悪徳」によって滅亡すると予言した聖ヒエロニムスの言葉を引用し、さらにこう述べています。
「しかし、考えてみると、ヒエロニムスが「罪と悪徳」ととらえたものこそ、ローマ帝国の成立・成長過程にあっては、その成功を保証した条件だった。ローマ帝国は権力、富、快楽に対するあくなき追及をよしとすることの上に建てられた帝国だった。それが成長期にはローマ帝国の活力源となり、対外発展の原動力となっていた。しかし、衰退期には、その同じものが、社会を解体させ、帝国を崩壊に導いたのである。」
成長期には国家発展の原動力となったその同じ条件が、衰退期には今度は逆に国家を崩壊させる最大の要因になってしまう。この「文明の逆説」ほど、現代の日本人がおぼえておかねばならない歴史上の法則はないでしょう。
「戦後日本」という国は、極貧の敗戦国としてスタートし、その後「人類史上まれな」と呼ばれるほどの急激な経済成長を経験しました。しかし、それではいったいなぜそんなことが可能だったのかといえば、その最大の原因は本書中でも触れた
「軍事主権の放棄」
という、密室で合意された基本方針のおかげだったといえるからです。
米軍に軍事主権を引き渡してアメリカの警戒心をとき、経済面での優遇措置をあたえてもらう。その一方、マッカーサーが残した憲法9条をたてにとり、自衛隊の海外派兵は拒否して日本人が巻き込まれないようにする。
つまり、「戦後日本」というきわめて特殊な国家においては、
「日米安保には指一本ふれるな」という右派のテーゼと、
「憲法9条には指一本ふれるな」という左派のテーゼが、
一見はげしく対立するように見えながら、そのウラでは「軍事主権の放棄」という一点で、互いに補完しあい、支えあっていたわけです。
表面的には矛盾するその二つのテーゼをセットにした基本方針(日米安保支持&護憲)のもとで、日本は長期の社会的安定と経済発展を実現することになったのです。
「冷戦の時代」はすでにヨーロッパで終焉をむかえ、東アジアにおいてもその幕を閉じて、国際環境が大きく変化している。そうした状況の中、「戦後日本」は、新たな国家原理のもとで再スタートを切る必要性に迫られています。
ところが、朝鮮半島における「分断された民族の融和」や「核戦争の回避」に対して、日本は率先して協力するどころか、ただ1ヵ国だけ最後まで邪魔をしている。この「外交姿勢」は国際的にも軽蔑されており、日本の外交力はゼロどころか巨大なマイナスになっている。
さらに、東アジアの国際環境が大きく変化し、軍事的な危機が起きた時に、日本には自国の危険を回避するための選択肢がどこにも存在しません。
戦後日本の経済繁栄をもたらした「軍事主権の放棄」という隠された「国是」が、いま「文明の逆説」そのままに、日本に深刻な危機をもたらし始めているのです。
私たちはいま、過去の大きな経済的成功にとらわれることなく、歴史上の客観的な事実をよく検証したうえで、先に述べた左右ふたつのテーゼを、根本から変更する時期にきているのです。
「文明の逆説」をめぐる考察で、立花隆さんは次のような結論でしめくくっています。
「一つの文明の死は、同時にもう一つの文明の誕生となる。一つの文明の成功の条件が、同時にその文明の失敗の条件ともなるという逆説のように、一つの文明の死の苦しみは、同時に別の文明の生みの苦しみとなるというもう一つの文明の逆説もまたあるのだ」
私はこの言葉を、いま日本の現状を憂えるすべての人たちに、なかでも、これから長い人生を歩んでいくことになる若い世代の人たちに、広く知ってほしいと心から願っています。
一つの社会体制が滅んでも、人々の営みは絶えることなくつづいていく。
だから未来は変えられる。事実を知った今日ただいまから、必ず未来は変えられる。
新しい日本の社会を、日米関係を、そして核兵器のない平和な世界を、混迷のなかから生み出していくのは、みなさんの仕事なのです。
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ウニの生育調査&解剖実習
http://chinomori.exblog.jp/26983479/
2018-07-14T06:31:00+09:00
2018-07-14T06:35:54+09:00
2018-07-14T06:31:44+09:00
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大谷ハチドリ計画
されていた谷口和也教授(東北大)に指導をお願いして始まったもので、谷口先生が亡くなられた後も吾妻先生が引き継いで続けている。
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田植え
http://chinomori.exblog.jp/26957388/
2018-07-01T10:12:00+09:00
2018-07-01T10:12:17+09:00
2018-07-01T10:12:17+09:00
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農業
に動き回っている。その姿を見ているだけでも楽しい。 午前中に雨が降って、せっかく水を抜いた田んぼがまたぬかるんでしまった。子供たちは、足をとられ、泥んこになりながら、それでも元気に田んぼに苗を植えていく。 田んぼの土の中の生き物たちも活発に動いているようで、キメ細かなトロトロ層に仕上がっている。この土でどんな米が育ってくれるか収穫が楽しみだ。 もう一つ楽しみなのが、小学生と中学生が一緒に収穫祭を祝うこと。これまで、田植えから稲刈りまで作業は一緒にしていたが、日程がなかなか合わず収穫を共に祝うことができずにいた。今年ようやく実現することになった。 そのためにも、この苗には元気に育ってもらわないとね。
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甦れ!ふゆみずたんぼ
http://chinomori.exblog.jp/24133797/
2017-04-30T01:27:00+09:00
2017-08-01T09:59:09+09:00
2017-04-30T01:27:25+09:00
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大谷ハチドリ計画
2011年、3.11大震災の津波で壊滅した「ふゆみずたんぼ」復興の記録。
気仙沼市本吉町大谷地区では、幼稚園と小学校、中学校が連携して地域の自然と暮らしを再生し継承するための「大谷ハチドリ計画」に取り組んでいる。その活動の一環として「ふゆみずたんぼ」で稲を育てながら、多様な生き物が生息する持続可能な環境について学んでいる。
だが、3.11の大津波はこの田んぼをも飲み込み、壊滅状態になってしまう。家屋や車などの膨大なガレキが散乱する光景に呆然とするしかなかった。それでも、この田んぼで子供たちがこれまでのように元気に動き回れば、地域の復興にも大きな励みになるはずだ。
東京にいる仲間たちの後押しもあり、このふゆみずたんぼの復興プロジェクトを立ち上げて支援を呼びかけたところ全国から多くのボランティアが駆けつけてくれた。作業はすべて手作業で行うしかなかったが、多くの人たちの力で田んぼは甦り、震災から3か月後にはいつものように泥にまみれた子供たちの歓声が響いた。
ボランティアの中に映像カメラマンがおり、この「ふゆみずたんぼ復興プロジェクト」を映像として記録していてくれた。本当に有難いことだと感謝している。
◆ふみずたんぼ復興の関連記事
2011年4月26日
「ふゆみずたんぼ」を復興する+支援のお願い
http://chinomori.exblog.jp/13398140/
2011年6月9日
田植え―田んぼに子供たちの歓声が戻った
http://chinomori.exblog.jp/13744530/
2011年10月16日
ふゆみずたんぼの稔り(3)稲刈り
http://chinomori.exblog.jp/14765658/
2012年4月7日
日本水大賞で文部科学大臣賞を受賞
http://chinomori.exblog.jp/15811610/
この映像の中に、当時、幼稚園児や小学校1.2年生だった子供たちの姿も映っている。今年、この子供たちが中学生になった。当時のことをこの子たちは覚えているだろうか。そして、田んぼが甦り、活動が続けられているのは、多くの人たちの支援のおかげであることを。
年度初めにハチドリ計画のオリエンテーションを行っている。当時の自分たちの姿を思い起こしてもらうためにも、この記録映像を見てもらうことにした。予想通り、自分たちの姿を見つけて歓声があがった。この上映を、地元紙が記事に掲載してくれた。
『三陸新報』2017年4月22日
『河北新報』2017年4月29日
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いきものたんぼ(学校田)の作業:ワカメの茎撒き
http://chinomori.exblog.jp/23986245/
2017-03-18T09:58:00+09:00
2017-04-30T02:58:29+09:00
2017-03-18T09:58:54+09:00
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大谷ハチドリ計画
海の春は早い。2月、陸はまだ春の気配さえ感じないが、海の中ではすでに春が芽生えている。ワカメやフノリ、マツモ、ヒジキなど、春を告げる海藻が食卓をにぎわす。ワカメを養殖している漁師たちは刈り入れや加工に忙しい。2月から4月までの3か月間の稼ぎで年収の半分以上になる。
このワカメは、葉の部分とメカブが商品となるが、その間にある茎は捨てられてしまう。そこで、この茎をもらい受けて学校の田んぼに入れている。カリウムやマグネシウム、マンガンなどミネラル豊富な肥料となる。塩分を心配する向きもあるが、茎の表面についているだけで茎の中まで塩漬けになっているわけではない。
学校田を「いきものたんぼ」と名付けて、子供たちと稲作を初めてから今年で10年になる。当地では、昔から海藻を田畑に肥料として入れていたが、最近では行われなくなってしまった。そこで、その伝統を復活させようとワカメの茎を入れている。
効果はすぐに現れた。稲の成長に勢いがあるのだ。他の田んぼ(慣行田)の稲と比べると、稲の色がはっきりと違う。青々と見るからに健康である。コメの味も違う。ヌカ臭さがない。この米を学校の炊事室で炊いたときに、その匂いが校舎内に広がり、その匂いにつられて子供たちが集まってきた。
当初の田んぼは震災の津波で壊滅的な打撃を受けたものの、全国から集まったボランティアのおかげで震災から2か月後には元の姿を取りもどし、例年通りにコメ作りをすることができた。ところが、その2年後には震災復興事業で圃場整備がはじまり、せっかく復元した田んぼも「整備」されることになってしまった。
これで子供たちのコメ作りはできないと断念していたが、圃場整備の地権者たちが学校田を残すよう働きかけてくれたおかげで、一枚の田んぼだけは整備計画から外してもらうことができた。
思えば、いろんな縁があって、コメ作りを続けさせていただいている。今年もこうしてまた始められることを、あらためて有り難いと思う。
(参照記事)
2011年6月09日 田植え―田んぼに子供たちの歓声が戻った
http://chinomori.exblog.jp/13744530/
2015年8月11日 出穂(今年の米作り)
http://chinomori.exblog.jp/22013021/
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震災から6年・いまだ帰らぬ人々
http://chinomori.exblog.jp/23950714/
2017-03-11T12:46:00+09:00
2017-03-11T15:13:31+09:00
2017-03-11T12:46:11+09:00
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総合
http://hinansyameibo.seesaa.net/category/10331937-1.html
6年前のあの日、避難した高台から津波が引いていくのを見ていた。壊れた家々の残骸が大きな塊になって沖へと流されていった。あの中にどれだけの人がいるのだろう。いたたまれない気持ちを抱えながら、立ち尽くすしかなかった。どこまで流されていったのだろう。そのまま遠く深い海の底で人知れず眠っているのかもしれない。彼らを探し出すことはできるのだろうか。
(写真:2011年3月11日16時16分撮影)
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中村哲 「山椒言」
http://chinomori.exblog.jp/23485551/
2016-09-13T12:26:00+09:00
2016-09-14T07:13:26+09:00
2016-09-13T12:26:24+09:00
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総合
戦争の実態を知らぬ指導者たちが
勇ましく吠え、戦の準備をする日本。
危機が身近に、祖国が遠くになってきた。
中村哲(医師・べシャワール会現地代表)
「山椒言」『通販生活』2015年春号
アフガニスタンは日本にとって再び遠い国になった。
だが報道がないからと言って、問題が解決した訳ではない。NATO(北大西洋条約機構)が指揮するアメリカ軍が中心となったISAF(国際治安支援部隊)が年内に戦闘任務を完了して、治安権限移譲が終わるという。要するに敗北である。治安は一向に改善の兆しがない。欧米軍が進駐した13年前より著しく悪化している。一世を風靡した「アフガン復興支援」の掛け声も、莫大な援助額と共に、貧富の差を絶望的に広げたあげく、どこかに消えてしまった。アフガンを皮切りに、集団的自衛権を名目とする不毛な戦で、世界中が振り回されたことは、想起されるべきだ。
政治や戦争の話題の陰で、恐るべき事態が進んでいる。農村に一歩足を入れると、光景は一変する。かつて100%に迫る食料自給率を誇った農村は、見る影もない。農地の乾燥化が進み、飢えた農民たちが職を求めて都市にさまようが、まともな仕事にはありつけない。平和であろうはずがない。
干ばつは依然として進行中である。食料自給率は既に半減し、最悪の食糧危機国に指定された(2010年・世界食糧計画)。現在、国民の3分の1に相当する760万人が飢餓線上にあると伝えられる。
国民の病気の背景に栄養失調があり、特に子供の死亡率は最悪である。食料を生み出す農業が壊滅的な打撃を受けているからだ。近年の温暖化の影響で農業用水が著しく欠乏し、農村の荒廃を引き起こしている。医療団体たる我々が水利灌漑事業に力を入れ、「緑の大地計画」を打ち出したのは、このような事情による。穀倉地帯の復活を夢見て、用水路を建設し、取水堰を改修し、60数万農民が暮らせる1万6500ヘクタールの農地の安定灌漑を実現しようとしている。
だが、日本から届く報道は、情けないものだ。人の命に関る重大事も、取ってつけた様な政治議論で薄れてしまう。特に、集団的自衛権に絡む「駆け付け警護」には唖然とした。二流西部劇に似ている。現地がまるで野蛮人の巣窟で、文明国の部隊が護ってやらねばならぬような驕りである。これは主権侵害というものであって、我々の事業と安全を守るのは現地の住民と行政だ。そこには我々と同じく、血もあり文化もある人々が暮らしていることが眼中になかった。日本はこれまで、アフガニスタン国内では民生支援に専念してきた。そのことが日本への信頼であり、我々の安全保障であった。それが覆されようとしている。
戦争の実態を知らぬ指導者たちが勇ましく吠え、心ない者が排外的な憎悪を煽る。「経済成長」が信仰にまで高められ、そのためなら何でもする。武器を売り、原発を復活し、いつでも戦ができるようにするのだという。それが愛国的で積極的な平和だとすれば、これを羊頭狗肉という。アフガンへの軍事介入そのものが、欧米諸国による集団的自衛権の行使そのものであり、その惨憺たる結末を我々は見てきた。危機が身近に、祖国が遠くになってきた。実のない世界である。
(2014年12月 アフガニスタンより)
ETV特集・フガニスタン 永久支援のために ~中村哲 次世代へのプロジェクト~
放送日: 2010年11月14日(日)
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2010/1114.html
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日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか (その2)
http://chinomori.exblog.jp/23429625/
2016-08-23T18:59:00+09:00
2016-08-23T20:13:23+09:00
2016-08-23T18:59:25+09:00
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総合
(写真:Yahoo!ニュース 2015年9月28日)
(PART3 最後の秘密・日本はなぜ、戦争を止められないのか―― 継続した「占領下の戦時体制」から)
私たちはなぜ、このような光景を目にしなければならないのか (p.286)
昨年(2015年)9月に成立した安保関連法と、その採決をめぐる大混乱は、そうした日本社会にひそむ「ウラの掟」の存在を、だれの目にもみえるかたちであきらかにしたものでした。「日米安全保障協議委員会(ツー・プラス・ツー)」でアメリカとの事実上の取り決めがすでにむすばれている以上、日本政府にとって、国会の審議も、憲法をめぐる議論も、デモによって示された国民の民意も、本質的にほとんど意味をもたなかった。それらはどんな異常な手を使ってでも、無視し、乗り越えるべき対象でしかなかったのです。
その象徴が、法律成立の2日前(2015年9月17日)、参議院特別委員会でおこなわれた強行採決時の、「人間かまくら」とよばれるあまりにも異様な光景でした。
日本はなぜ、「戦争」を止められないのか (p.287)
2015年9月17日、日本の国会の機能が完全に破壊されたこの日の出来事を、私たちはいったいどのように位置づければよいのでしょうか。
私は、それはこれまで、
「基地の問題=沖縄」
「原発と被曝の問題=福島}
というかたちで矮小化されてきた、日本という国のもつ根本的な歪みが、ついに、
「戦争の問題」
というかたちをとって、日本人全員の前に姿をあらわした瞬間だった思っています。
「日本はなぜ、基地を止められないのか」
「日本はなぜ、原発と被曝を止められないのか」
「日本はなぜ、戦争を止められないのか」
これらの問題は、すべてひとつの大きな構造のなかにあり、同じ原因によって生みだされたものです。そしてその大きな構造の根幹に横たわっているのが、占領下にあった時代のアメリカへの戦争協力体制が、66年後のいまも法的に継続しつづけているという、「戦後日本」の歪んだ国のかたちなのです。
「占領下の戦時体制だけは、さすがにもうやめさせてほしい」といえばいい (p.289)
もっとも、私は今回、日本のこうした歪んだ現状が、
「占領体制の継続」
ではなく、
「占領下の戦時体制(戦争協力体制)の継続」
なのだとはっきりわかったことで、逆にかなり明るい気持ちになりました。
「なんだ、結局占領中の朝鮮戦争への協力体制が、だまされてつづいてきただけなのか。手品のタネは、わかってみれば、案外単純なことだったんだな」
と、ストンと胸に落ちるようになったからです。
あとはこの事実を多くの日本人が知り、怒り、きちんとした政権をつくって、
「占領下で始まった戦争協力体制だけは、さすがにもうやめさせてほしい」
とアメリカに対して主張すればいいだけなのではないか。
ここまで不平等な条約の実態について、国民の認識が深まったとき、
「いや、ダメだ。このシステムは永遠につづけるのだ」
といえるアメリカの外交官が、はたしているだろうか。
「それでも日米関係は、いまのままが一番いいのだ」
といえる日本の政治家が、はたしているだろうか。
そう思えるようになったのです。
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日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
http://chinomori.exblog.jp/23426498/
2016-08-22T12:26:00+09:00
2016-08-23T08:28:29+09:00
2016-08-22T12:26:34+09:00
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総合
矢部宏冶 『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(集英社 2016)
(「はじめに」から)
日本の超エリートも知らない「日米密約」の闇 (p.2)
おそらくみなさんもそうだと思いますが、私も長いあいだ、こう思っていました。
たしかに日米間の軍事上の取り決めには、オモテに出ない闇の部分もあるのだろう。でも、外務省など国家の中枢にはそういう問題を全部わかっているほんとうのエリートたちがいて、国家の方針をまちがわないよう、アメリカとギリギリの交渉をしてくれているのだろうと。
ところがまったくそうではなかったのです。
現在の日本のエスタブリッシュメントたち(私のいう「安保村」のエリートたち)は、戦後アメリカとのあいだでむすんできたさまざまな事実上の密約を、歴史的に正しく検証することがまったくできなくなっている。というのも、過去半世紀にわたって外務省は、そうした密約に関して体系的に保管・分析・継承することをせず、特定のポストにいるごく少数の人間の個人的なテクニックに、その対応をまかせてきてしまったからです。
そのため、とくに2001年以降の外務省は、「日米密約」という国家的な大問題について、ただ資料を破棄して隠蔽するしかないという、まさに末期的な状況になっているのです。
「戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約がある (p.3)
私はこの問題を調べはじめてから、まだそれほど時間がたっていないのですが、沖縄の米軍事基地の写真集をつくったことがきっかけで。沖縄問題の研究者のみなさんから、数々のおどろくべき事実を教えてもらうようになりました。(その多くは「条文」や「公文書」ですから、議論の余地のない事実です)。
この「日米密約」の世界に一歩でも足を踏み入れてしまうと、世のなかの出来事をみる目が、すっかり変わってしまうことになるのです。
たとえば、昨年(2015年)大きな社会問題になった、安保関連法についてです。あのとき国会では、安倍内閣が提出した法案をめぐって、普通の市民にはだれひとりフォローできないような複雑で錯綜した議論が、約4ヵ月にわたっておこなわれました。
その代表的なひとつが、
「それは個別的自衛権だ」
「いや、集団的自衛権だ」
という国際法をめぐる、よくわからない議論だったと思います。
けれどもすでにアメリカの公文書で確認されているひとつの密約の存在を知れば、あのとき起きていた出来事の本質は、あっけないほどかんたんに理解できるのです。
その密約の名は「統一指揮権密約」といいます。
これはかんたんにいうと、
「戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」
という密約のことです。
1952年7月と1954年2月に当時の吉田首相が口頭でむすんだこの密約が、その後の自衛隊の創設から今回の安保関連法の成立までつながる、日米の軍事的一体化の法的根拠となっているのです。
けれども、これまでそれは、あくまで日本とその周辺だけの話だった。
ところが、今後はそこから地域的なしばりをはずして、戦争が必要と米軍司令部が判断したら、自衛隊は世界中どこでも米軍の指揮下に入って戦えるようにする。
そのために必要な「国内法の整備」が、昨年ついにおこなわれてしまった。それがあの安保関連法の本質だったということです。
日本の戦後史に残された「最後の秘密」とは? (p.5)
私は今回、この「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮下に入る」という密約の行方を追いかけるうちに、おそらくこれが日本の戦後史における「最後の秘密」だろうと思われる、軍事面での「大きな構造」にたどりつくことができました。
これからそのことについて、できるだけわかりやすくご説明していくつもりですが、ひとつ先に申しあげておかなければならないのは、本書でこのあとその「最後の秘密」にまで話しが及んだとき、みなさんの目の前にあらわれるのは非常にきびしい日本の現実だということです。
なぜならそこでは日本の現状が、いままで私が本にかいてきたような、
「占領体制の継続」
ではなく、それよりもさらに悪いものだということが、公文書によって完全に証明されてしまうからです。
しかし、そこでくじけることなく、どうか最後までこの本を読んでください。
そうすれば、これまで戦後最大のタブーとされてきた、この日米間の隠された軍事的構造について、
「ああ、これ以上の謎も闇も、もうないのだな」
という境地にたどりつくことが、きっとできるはずです。
そしてかすかな安堵感とともに、小さな「希望の光」を感じることも、きっとできるはずです。問題の原因と構造さえはっきりわかれば、あとはその解決へむかう道を、ただあきらめず前に歩いていくしか、ほかに方法がないからです。
それでは、これからこの本を、できるだけわかりやすく書いてみることにします。
本書でご説明する「最後の秘密」、つまり日米間の隠された軍事的構造が、けっして一部の研究者が知っていればよいというものではなく、日本人のだれもが知っておくべき問題だと強く思っているからです。
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今こそ読もう、世界人権宣言(谷川俊太郎訳)
http://chinomori.exblog.jp/23360379/
2016-08-02T11:26:00+09:00
2016-08-02T18:03:02+09:00
2016-08-02T11:26:10+09:00
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世界人権宣言(谷川俊太郎訳)
第1条 みんな仲間だ
わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。
ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。
だからたがいによく考え、助けあわねばなりません。
第2条 差別はいやだ
わたしたちはみな、意見の違いや、生まれ、男、女、宗教、人種、
ことば、皮膚の色の違いによって差別されるべきではありません。
また、どんな国に生きていようと、その権利にかわりはありません。
第3条 安心して暮らす
ちいさな子どもから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、
わたしたちはみな自由に、安心して生きていける権利をもっています。
第4条 奴隷はいやだ
人はみな、奴隷のように働かされるべきではありません。
人を物のように売り買いしてはいけません。
第5条 拷問はやめろ
人はみな、ひどい仕打ちによって、
はずかしめられるべきではありません。
第6条 みんな人権をもっている
わたしたちはみな、だれでも、どこでも、
法律に守られて、人として生きることができます
第7条 法律は平等だ
法律はすべての人に平等でなければなりません。
法律は差別をみとめてはなりません。
第8条 泣き寝入りはしない
わたしたちはみな、法律で守られている基本的な権利を、
国によって奪われたら、裁判を起こし、
その権利をとりもどすことができます。
第9条 簡単に捕まえないで
人はみな、法律によらないで、
また好きかってに作られた法律によって、捕まったり、閉じこめたり、
その国からむりやり追い出されたりするべきではありません。
第10条 裁判は公正に
わたしたちには、独立した、かたよらない裁判所で、
大勢のまえで、うそのない裁判を受ける権利があります。
第11条 捕まっても罪があるとはかぎらない
うそのない裁判で決められるまでは、だれも罪があるとはみなされません。
また人は、罪をおかした時の法律によってのみ、罰をうけます。
あとから作られた法律で罰を受けることはありません。
第12条 ないしょの話
自分の暮らしや家族、手紙や秘密をかってにあばかれ、
名誉や評判を傷つけられることはあってはなりません。
そういう時は、法律によって守られます。
第13条 どこにでも住める
わたしたちはみな、いまいる国のどこへでも行けるし、どこにでも住めます。
別の国にも行けるし、また自分の国にもどることも自由にできます。
第14条 逃げるのも権利
だれでも、ひどい目にあったら、よその国に救いを求めて逃げていけます。
しかし、その人が、だれが見ても罪をおかしている場合は、べつです。
第15条 どこの国がいい?
人には、ある国の国民になる権利があり、
またよその国の国民になる権利もあります。
その権利を好きかってにとりあげられることはありません。
第16条 ふたりで決める
おとなになったら、だれとでも好きな人と結婚し、家庭がもてます。
結婚も、家庭生活も、離婚もだれにも口出しされずに、
当人同士が決めることです。
家族は社会と国によって、守られます。
第17条 財産をもつ
人はみな、ひとりで、またはほかの人といっしょに財産をもつことができます。
自分の財産を好きかってに奪われることはありません。
第18条 考えるのは自由
人には、自分で自由に考える権利があります。
この権利には、考えを変える自由や、ひとりで、
またほかの人といっしょに考えをひろめる自由もふくまれます。
第19条 言いたい、知りたい、伝えたい
わたしたちは、自由に意見を言う権利があります。
だれもその邪魔をすることはできません。
人はみな、国をこえて、本、新聞、ラジオ、テレビなどを通じて、
情報や意見を交換することができます。
第20条 集まる自由、集まらない自由
人には、平和のうちに集会を開いたり、
仲間を集めて団体を作ったりする自由があります。
しかし、いやがっている人を、むりやりそこに入れることはだれにもできません。
第21条 選ぶのはわたし
わたしたちはみな、直接にまたは、代表を選んで自分の国の政治に参加できます。
また、だれでもその国の公務員になる権利があります。
みんなの考えがはっきり反映されるように、
選挙は定期的に、ただしく平等に行なわれなければなりません。
その投票の秘密は守られます。
第22条 人間らしく生きる
人には、困った時に国から助けを受ける権利があります。
また、人にはその国の力に応じて、豊かに生きていく権利があります。
第23条 安心して働けるように
人には、仕事を自由に選んで働く権利があり、
同じ働きに対しては、同じお金をもらう権利があります。
そのお金はちゃんと生活できるものでなければなりません。
人はみな、仕事を失わないよう守られ、
だれにも仲間と集まって組合をつくる権利があります。
第24条 大事な休み
人には、休む権利があります。
そのためには、働く時間をきちんと決め、
お金をもらえるまとまった休みがなければなりません。
第25条 幸せな生活
だれにでも、家族といっしょに健康で幸せな生活を送る権利があります。
病気になったり、年をとったり、働き手が死んだりして、
生活できなくなった時には、国に助けをもとめることができます。
母と子はとくに大切にされなければいけません。
第26条 勉強したい?
だれにでも、教育を受ける権利があります。
小、中学校はただで、だれもが行けます。
大きくなったら、高校や専門学校、大学で好きなことを勉強できます。
教育は人がその能力をのばすこと、
そして人ととしての権利と自由を大切にすることを目的とします。
人はまた教育を通じて、世界中の人とともに平和に生きることを学ばなければなりません。
第27条 楽しい暮らし
だれにでも、絵や文学や音楽を楽しみ、科学の進歩とその恵みをわかちあう権利があります。
また人には、自分の作ったものが生み出す利益を受ける権利があります。
第28条 この宣言がめざす社会
この宣言が、口先だけで終わらないような世界を作ろうとする権利もまた、わたしたちのものです。
第29条 権利と身勝手は違う
わたしたちはみな、すべての人の自由と権利を守り、住み良い世の中を作る為の義務を負っています。
自分の自由と権利は、ほかの人々の自由と権利を守る時にのみ、制限されます。
第30条 権利を奪う「権利」はない
この宣言でうたわれている自由と権利を、
ほかの人の自由と権利をこわすために使ってはなりません。
どんな国にも、集団にも、人にも、そのような権利はないのです。
The Universal Declaration of Human Rights
http://www.un.org/en/universal-declaration-human-rights/
アムネスティ鎌倉グループ
http://aikamakura.sakura.ne.jp/sengen.html#tanikawa
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末世を生きる(3)雪山求法、捨身飼虎
http://chinomori.exblog.jp/23341306/
2016-07-29T13:54:00+09:00
2016-09-28T07:50:05+09:00
2016-07-29T13:54:23+09:00
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総合
(国宝 玉虫厨子 http://www.horyuji.asia/entry9.html )
山田老師が日本人の心に忘れてはならないものとして、法隆寺の「玉虫の厨子」に描かれた二枚の絵を上げている。「雪山求法(せっさんぐほう)の図」と「捨身飼虎(しゃしんしこ) の図」である。(『末世に生きる』p.158)
(雪山童子施身聞偈図)
「雪山求法の図(雪山童子施身聞偈図)」というのは、釈尊がヒマラヤの麓で、雪山童士(せっせんどうし、雪山大士ともいう)の名で修業していた時の物語を描いている。
そこで坐禅を組んで思惟していた時に、羅刹(らせつ)という人間の生き血を吸う恐ろしい鬼が出てきた。そして大きな声で歌を歌った。
「諸行は無常なり、これ生滅の法なればなり(諸行無常・是生滅法)…」
それを童士が聞きとがめて、
「いま歌を歌ったのはおまえか。じつはおれもそこまで考えておる。この世の中は無常だ。生まれたものは必ず死ぬ。会うたものは必ず別れねばならぬ。できたものは必ず壊れる。永遠に残るものはなにもない。この無常の世の中に何か滅びないもの、永遠なものはないかと求めて、おれはいま難行苦行しておる。いまおまえが歌った歌は昔の仏の歌だと思うが、歌というものは四つの句からできておるはずだ。いまおまえが歌ったのは、はじめの二句だろう。あとの二句にきっと結論が歌ってあるはずだ。あとの二句を聞かせてくれ」
というと羅刹は、
「聞かせてやりたいが、おれはいま腹がへっていて、ものをいうのもたいぎだ。人間のなま血を吸わすか肉の塊でも食わしてくれたら教えてやる」
という。
「よろしい、おれの体をやろう。わしは真理さえわかれば生命はいらんのだ。すまんけど先に聞かせてくれ、そうしたらおれの体ぜんぶおまえにやる」
そこで羅刹があとの二句を歌った。
「生滅滅し已(おわ)って寂滅を楽と為す(生滅滅已・寂滅為楽)」
―― 生きる、死ぬと、意識が分裂するから悩むのだ。生まれるとも死ぬとも思わぬ、意識を動かさぬ先の、生まれたままの純粋な心が永遠なんだ ―― と歌いますと、童士は忽然と悟りが開けて、
「そうだったのか。そうだったのか。おれは永遠なるものをものの世界に求めておったが、それはうそだったのか。永遠のものは心の中にあったのか」
と気がついて、約束によって自分の体を羅刹に投げ与えると、羅刹の姿はパッと消えて帝釈天の姿になって、童士を讃嘆しながら天に昇られた。童士が命がけで法を求めていることがわかって、帝釈天が法を授けられた。
これが「雪山求法の図」である。むずかしいこの歌を日本の言葉になおすと、俗に弘法大師が作られた言われる「色は匂へど…」といういろは歌になるのである。
(捨身飼虎図)
もう一枚の「捨身飼虎の図」は、昔、三人の菩薩が諸国を修行していた時に、竹藪のそばを通ると、竹藪の中で一匹の虎が飢えて倒れている。かたわらに七匹の子虎が同じく弱って倒れている。二人の菩薩は気がつかずに通っていってしまったが、三人目の菩薩がこれに気づいて、
「これはいかん、このままでは母虎も子虎も死んでしまう。なにか食わすものはないか」
とあたりを探したが、虎に食わすようなものはなにもない。かといってこのまま見捨てて去るわけにはいかない。思案に余った菩薩は、ついに裸になって自分の体に自ら傷つけ、血の流れる体を虎の前に持っていって横になった。虎は血のにおいに気がついて、その血をなめるとようやく元気が出て、ついには菩薩の全身をいただいて生き返ることができた。七匹の子虎も生きかえった。菩薩は自分の全身を捧げて虎を救われた。この菩薩がお釈迦さまの前の世の修行の姿である。
山田老師は、玉虫の厨子に描かれたこの二枚の絵こそ「菩提心」であり、「人間性の原点」であると語る。
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アインシュタインの手紙
http://chinomori.exblog.jp/23337360/
2016-07-27T22:21:00+09:00
2016-07-27T22:22:33+09:00
2016-07-27T22:21:35+09:00
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1980年代の末、有名な天才アインシュタインの娘リーゼルは、父から彼女に宛てられた1400通の手紙を、父親の死後20年間は内容を公開しないという指示を添えて、ヘブライ大学に寄付しました。これはリーゼル・アインシュタイン宛ての手紙の中の1通です。
**************************************
私が相対性理論を提案したとき、
ごく少数の者しか私を理解しなかったが、
私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、
世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。
必要に応じて何年でも何十年でも、
私が下記に説明することを社会が受け容れられるほど進歩するまで、
お前に、この手紙を守ってもらいたい。
現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、
ある極めて強力な力がある。
それは他のすべてを含み、かつ支配する力であり、
宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、
しかも私たちによってまだ特定されていない。
この宇宙的な力は、愛だ。
科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、
彼らは、この最も強力な見知らぬ力を忘れた。
愛は光だ。
それは愛を与え、かつ受け取る者を啓発する。
愛は引力だ。
なぜなら、ある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。
愛は力だ。
なぜなら、それは私たちが持つ最善のものを増殖させ、
人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。
愛は展開し、開示する。
愛のために私たちは生き、また死ぬ。
愛は神であり、神は愛だ。
この力は、あらゆるものを説明し、生命に意味を与える。
これこそが、私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。
それは恐らく、愛こそが
人間が意志で駆動することを学んでいない、
宇宙のなかの唯一のエネルギーであるため、
私たちが愛を恐れているからだろう。
愛に視認性を与えるため、
私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。
「E=mc2」の代わりに、私たちは次のことを承認する。
世界を癒すエネルギーは、
光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、
愛には限界がないため、
愛こそが存在する最大の力である
という結論に至った、と。
私たちを裏切る結果に終わった、
宇宙のほかの諸力の利用と制御に人類が失敗した今、
私たちがほかの種類のエネルギーで
自分たちを養うのは急を要する。
もし、私たちが自分たちの種の存続を望むなら、
もし、私たちが生命の意味を発見するつもりなら、
もし、私たちがこの世界と、
そこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、
愛こそが唯一のその答えだ。
おそらく、私たちにはまだ、
この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を、
完全に破壊できる強力な装置、
愛の爆弾を作る準備はできていない。
しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、
しかし強力な愛の発電機を持っており、
そのエネルギーは解放されるのを待っている。
私たちがこの宇宙的エネルギーを与え、
かつ受け取ることを学ぶとき、
愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、
愛にはなにもかもすべてを超越する能力があることを
確信しているだろう。
なぜなら、愛こそが生命の神髄(クイントエッセンス)だからだ。
私は自分のハートのなかにあるものを
表現できなかったことを深く悔やんでおり、
それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。
恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、
私がお前を愛しており、お前のおかげで
私が究極の答えに到達したことを、
お前に告げる必要があるのだ。
お前の父親
アルベルト・アインシュタイン
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美しき五月のパリ Ah! le joli mois de mai à Paris
http://chinomori.exblog.jp/23334166/
2016-07-26T19:23:00+09:00
2016-07-26T19:40:47+09:00
2016-07-26T19:23:08+09:00
sophia_forest
総合
作詞:Jean Edouard Barb
作曲:Jean-Frédéric Brossard
訳詞:加藤登紀子
1.赤い血を流し 泥にまみれながら
この五月のパリに 人は生きてゆく
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! le joli mois de mai à Paris.
2.風よ吹いておくれ もっと激しく吹け
青空の彼方へ 我等を連れゆけ
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! le joli mois de mai à Paris.
3.年老いた過去は いま醜く脅え
自由の叫びの中で 何かが始まる
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! le joli mois de mai à Paris.
4.ほこりをかぶった 古い銃を取り
パリの街は今 再び生まれる
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! le joli mois de mai à Paris.
5.歌え 自由の歌を 届け 空の彼方へ
この五月のパリに 人は生きてゆく
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! Le joli mois de mai à Paris !
作詞:Jean Edouard Barb
作曲:Jean-Frédéric Brossard
(訳詞:朝倉ノ二―)
http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-264.html
J'ai vu les hommes matraqués.
J'ai vu des femmes bousculées.
J'ai vu des grenades claquées.
J'ai entendu la foule hurler.
{refrain :}
Ah! le joli mois de mai à Paris.
Ah! le joli mois de mai à Paris.
私は男たちが棍棒で殴られるのを見た
私は女たちが突き飛ばされるのを見た
私は手榴弾が炸裂するのを見た
私は群集がわめくのを聞いた
ああ!パリの美しき五月よ
ああ!パリの美しき五月よ
J'ai vu des rêves s'eveiller
J'ai vu la révolte gronder
J'ai vu les codes piétinés
Les drapeaux de la liberté
私は理想が目覚めるのを見た
私は反乱が拡大するのを見た。
私は法が踏みつけられるのを
自由の旗を見た
{refrain}
J'ai vu le printemps nouveau né
Se répandre dans les quartiers
J'ai vu partout le vent tourner
J'ai senti l'espoir se lever
私は新しく生まれた春が
街々に広がるのを見た
私は風がいたるところを回るのを見た
私は希望が湧き上るのを感じた
{refrain}
J'ai vu que la vie allait changer
J'ai vu la vérité bafouillée
La honte est là pour refluer
La sénilité s'en est allée
私は人生が変わろうとしているのを見た
私は真実がもごもごと語られるのを見た
恥は存在し蘇えってくる
古臭さは潰え去った
{refrain}
Bientôt le jour va se lever
Sur les champs de mines est atelier
La révolte ressuscitée
Enterre le vieux monde décedé
まもなく日が昇ろうとしている
仕事場は地雷の原にある。
蘇った反乱が
くたばった古い世界を葬る。
{refrain}
Nous batirons une societé
Ou chacun sera livré entier
Responsable de sa destinée
Et du sort de l'humanité.
おのおのが完全に自分をそこに委ね
自分の運命と
人類の運命に責任を持ち得る
社会を僕たちは築きあげるだろう。
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
ああ!来たるべきパリの五月
ああ!来たるべきパリの五月
ああ!来たるべきパリの五月
ああ!来たるべきパリの五月
沖縄 今こそ立ち上がろう
【作詞】山城博治
https://www.youtube.com/watch?v=O22eolER_UI
沖縄のみちは 沖縄が拓く
戦ゆをこばみ 平和に生きるため
いまこそ立ち上がろう
いまこそ奮い立とう
辺野古の海を 守り抜くために
圧政迫るが 立ち止まりはしない
いまこそ立ち上がろう
いまこそ奮い立とう
高江の森を 守り抜くために
力を合わせて スクラムたかめよう
いまこそ立ち上がろう
いまこそ奮い立とう
島々の暮らしを 守り抜くために
思いめぐらせて 心を通わせよう
いまこそ立ち上がろう
いまこそ奮い立とう
いまこそ立ち上がろう
いまこそ奮い立とう
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末世を生きる(2)菩提心を起こせ
http://chinomori.exblog.jp/23327101/
2016-07-23T21:03:00+09:00
2016-07-24T10:48:42+09:00
2016-07-23T21:03:49+09:00
sophia_forest
総合
(photo from http://athenszen.gr/cms/index.php/it/chi-siamo/6-lineage)
山田無文老師が学生の頃、チベット仏教を日本にもたらした河口慧海(えかい)師の講義を聞く機会があった。その時の教えが「菩提心を起こせ」であったという。
「この地球の上を牛の皮で覆えば、どこへでもはだしで行ける。しかし、そんなことは不可能だ。しかし、自分の足に七寸の皮をつければどこへでも安心していける。そのようにこの世界を、争いのない、貧しい人のいない、病人のない平和な楽園にするなんていうことは、おそらく不可能に近い。しかし、自分の心に菩提心を起こせ。即座に世界は平和になったと同じことだ。菩提心とは、自分の一生を人類に捧げますと、心から誓うことだ。自分をなくすことだ。そうすればもう争いはなくなる。世界中がみんな菩提心を起こせば、ただちに世界は平和になるはずだ。菩提心をおこしたからといって、ただちに凡夫が菩薩になれるわけではない。菩薩行の実行はむずかしい。しかし、菩提心を起こすことによって、人生の理想はもう九十パーセント達したと同じことだ。菩提心をおこせ」
「菩提心とは、自分の一生を人類に捧げますと、心から誓うことだ。」
この言葉を聞いて、山田青年は「私が探していたものは、これだ」と出家を決心することになる。
(『末世を生きる』 p.27)
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末世を生きる(1)地獄の長匙 極楽の長匙
http://chinomori.exblog.jp/23323681/
2016-07-22T11:14:00+09:00
2016-07-26T19:42:17+09:00
2016-07-22T11:14:12+09:00
sophia_forest
総合
末世だなと思う。だが、なぜこの末世に生かされているのだろうか。そんな思いから『末世を生きる』(山田無文・水上勉)を読んでいる。その中に「地獄の長匙 極楽の長匙」という話があった。
ある人が脈も呼吸も止まって臨終と言うことになって冥途のほうへ旅立った。
ところが閻魔さんの帳場まで行くと、書記が帳面をめくってみて、お前の伝票はまだこちらへ来ておらんから引き取るわけにはいかんと言われる。もう一度娑婆へ帰れと言われて、それは有難い、こんな結構なことはないと外にでると、門前に人間が死んでからの行く先の見本市がでている。地獄館、極楽館、飢餓館など、いろいろ並んでいる。
そこで、せっかくここまで来たのだから、ちょっと見物していこうと考えて、とりあえず地獄館へ入ってみた。地獄館というから、赤鬼、青鬼が亡者を責め立てて、油で煮殺したり、生き返ったのを臼でひき殺したりしているのかと思って、恐る恐る入ってみたら、赤鬼も青鬼もいない。
こざっぱりとした洋間にテーブルが並んでいて、まわりにお客さんが腰掛けている。テーブルの上には中華料理のようなごちそうの盛られたどんぶりや皿、鉢がいっぱいおいてある。はてな、地獄館と言うけれど、まんざらでもないなあと思いながら、椅子に座っているお客さん達を見回して驚いた。
みんな真っ青な顔をして皮と骨ばかりにやせて、目も落ち込み、まことに哀れな姿。何で目の前のごちそうを食べないのかなと思ってあらためてよく見ると、そのお客さん達の左手が椅子に縛りつけてある。ああ、人間というやつは、いっぺん座り心地のいい椅子に腰掛けると死んでも離さないらしい、それでは右手はどうかなと見ると、右手には匙サジが縛ってある。
ははあ、人間は死んでも食い気を離さないらしいな。あの匙でごちそうをすくって食べたらよさそうなものをと思いながらよく見ると、その匙はばかに長くて柄が1メートルもある。欲をかいて遠くの皿にまで伸ばしてごちそうをすくい、さて食べようとすると匙が長くて口にとどかない。みな背中にかぶるばかりで、口に何も入らない。それで、お前がわるい、きさまが気がきかんと言ってお互いけんかをしている。
なるほど、これは地獄だと思って、地獄はわかったから、こんどは極楽へ行こうと極楽館に入った。極楽というから観音様か天女様でもいらっしゃるかと見回して見たが、そんな感じは全然ない。こざっぱりした洋間にテーブルがあって、ごちそうがあって、そしてお客さんが並んでいる。
はてな、地獄も極楽も中身は同じことだなと思ってお客さんの方を見ると、こちらはみな血色もよく、太っていてニコニコ笑いながら話をしている。これは確かに極楽だ。そこで左手が縛られていないかと見ると、ちゃんと縛られている。右手にも、1メートルの長い匙が縛ってある。地獄も極楽も同じだ。
どこで、お客さんの気持ちが違ってくるのかなと、しばらく見ていると、こちらのお客さんは長い匙でごちそうをすくってから「さあ、おあがりください、どうぞ」と向かいの人に差し出している。すると向こうからも「ありがとう、どうぞ、どうぞ、あなたも」と差し出してくれるから、「ありがとう、頂だいします。」とこちらも食べる。
なるほどなあ、地獄と極楽の違いはここだな。自分だけ食べることしか知らない連中が集まると、この世は地獄になるし、まず、周りの人に食べさせることを考えていけば、この世は極楽になる。地獄と極楽の違いはそこだな。
地獄といい、極楽というけれど、それはあの世のことではなくて、この世のことだなと気がついたら、 布団の上にまだ寝ていた。 (『末世を生きる』p.66)
この話はさまざまなバリエーションがあり、「長い箸」としても伝わっている。原典はユダヤ教であるとする説もある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Allegory_of_the_long_spoons
こんな動画もある。
Based on an ancient story about hunger and sharing, this animated video is part of Caritas’ “One Human Family, Food for All” campaign. The “allegory of the long spoons” teaches us that when we struggle to feed only ourselves, everyone goes hungry. But when we focus on our neighbour’s hunger, we discover there are ways to feed everyone.
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